散逸構造、命の余韻

2026年2月3日

Pocket

先日,チームラボ バイオヴォルテックス 京都(teamLab Bio Vortex Kyoto)へ赴きました。昨年秋,京都市南区に開館したこの常設ミュージアムは,これまでのチームラボの総体であると同時に,彼らが新たな段階へ移行したことを示す記念碑的存在です。

一万平方メートルを超える広大な敷地には五十点を超える作品が配されておりますが,施設名にも冠された「バイオヴォルテックス」は,代表である猪子寿之氏が提唱する「環境現象」論を具現化した空間であります。猪子氏は「生命とは閉じた物質ではなく,外部環境との連続的な流れの中で維持される『秩序ある渦』である」と定義しています。この哲学に基づき,施設内の作品群は「物質的な枠組みからの解放」と「時間的な連続性」を主題として構成されており,中でも日本初公開となる「環境現象」シリーズは特筆に値します。

特にそのシリーズの一作である《変容する連続体 / Morphing Continuum》には,言葉を失うほどの感銘を受けました。本作の詳細に触れる前に,まずはチームラボという存在が内包する多層的な魅力と,その思想的変遷について少し述べさせてください。

「チームラボ」と聞くと,煌びやかな光に彩られたいわゆる「SNS映え」のスポットを想起される方も多いかもしれません。しかし彼らの作品の本質は,そのような表層的な美しさに留まるものではありません。

二十一世紀の現代美術において,チームラボほど「美術館」「テーマパーク」「宗教的体験」の境界を曖昧にし,世界的な商業的成功と批評的議論の双方を喚起した存在は稀有であります。二〇〇一年,東京大学出身の猪子寿之氏らによって結成されたこの集団は,当初Web開発やシステムインテグレーションを手掛けるITベンチャーとして出発しました。しかし現在では,プログラマー,エンジニア,数学者,建築家,CGアニメーター,編集者など多岐にわたる専門家から成る四百名を超える「ウルトラテクノロジスト集団」へと変貌を遂げています。

西洋美術史が長らく「個人の天才」による署名性を重視してきたのに対し,チームラボは「集団的創造」を掲げ,個人名を前面に出すことを是としません。これは中世のギルドや日本の狩野派のような工房システムを,現代のデジタル環境において再構築したものと解釈することができます。彼らはコードを絵筆とし,センシング技術をキャンバスとすることで,鑑賞者の身体そのものを作品の一部として取り込む「インタラクティブな没入」を標準化しました。彼らの活動は,大きく分けて三つの思想的フェーズを経て進化してきたと考えられます。

初期から中期にかけて猪子氏が頻繁に提唱していた概念が「超主観空間(Ultrasubjective Space)」です。これは近代西洋で確立された線遠近法に対する批判的再構築と評することができます。猪子氏は,写真や映画といったレンズを介する映像表現が鑑賞者の視点を一点に固定し,身体の自由を奪っていると指摘しました。消失点を持つ遠近法では,鑑賞者が移動すると絵画空間が歪み,鑑賞者は「固定された他者」として作品を覗き込むことしかできません。

一方で,大和絵や浮世絵など前近代的な日本絵画は「平面的」と評されがちですが,猪子氏はこれを「劣った技術」ではなく「論理的な空間構造」として再定義しました。視点が移動しても成立するこの空間様式を,チームラボは三次元のCG空間を論理的に二次元へ変換するアルゴリズムとしてプログラム化しました。これにより,鑑賞者が作品の内部を歩き回っても映像世界が破綻せず,かつ「自分」と「他者」の視点が等価に共存し得る空間が実現したのです。

中期以降,特に『teamLab Borderless』の開業前後から,思想の中心は「境界の消失」へと移行しました。私が初めてチームラボの作品に出合い,深い感銘を受けたのもこの時期であり,そこには三つの層が存在します。

第一に「作品と作品の境界の消失」です。従来の美術館では作品は額縁に収められ,部屋ごとに区切られていましたが,チームラボの空間ではカラスや蝶などのデジタルオブジェクトが部屋を飛び出し,廊下を移動し,他の作品と混じり合います。これにより,美術館全体が一つの世界として有機的に結合します。

第二に「作品と鑑賞者の境界の消失」です。作品は鑑賞者の介入(タッチ,歩行,滞留)によってリアルタイムに変容します。鑑賞者がいなければ花は咲かず,触れれば散る。鑑賞者は単なる「見る人」ではなく,作品を成立させる「当事者」となります。

第三に「自己と他者の境界の肯定」です。現代都市において他者の存在はしばしばノイズとなりますが,作品内では他者がいることでその足元から花が咲き,光が灯るため,他者の存在が美を生む要因となります。猪子氏はアートを通じて,都市における他者への不寛容を緩和し,肯定的な関係性へと書き換えようとしているのです。

そして最新のフェーズにおいて,猪子氏の関心は「生命とは何か」「存在とは何か」という根源的な問いへと向かっています。ここで提示されるのが「環境現象(Environmental Phenomena)」という概念です。猪子氏はしばしば「海の渦」を例に挙げます。渦(ヴォルテックス)は,それ自体が固定された岩や鉄のような物質ではなく,水の流れという環境によって維持される「現象」です。外部からのエネルギー供給や水の流入が止まれば,渦という構造体は消滅します。これは生命の構造とも重なります。人間もまた,昨日摂取したものと今日排泄するものが入れ替わり続ける「流れの中の存在」であり,物質的には昨日の自分とは異なります。それでも「私」という構造が維持されているのは,環境との連続的なエネルギー交換があるからであります。

この思想に基づき,今回私が訪れた京都やアブダビの施設を含む近年の作品群では,物質的なスクリーンやキャンバスを極力排し,空気の流れや光,霧,泡などを用いて,環境そのものを作品化する試みが行われています。「作品」は確固たる物質ではなく,環境が作り出す「現象」として存在するのです。

チームラボの芸術的ビジョンを支えているのは,極めて高度かつ大規模なエンジニアリング技術であります。商業的なプロジェクションマッピングの多くが事前にレンダリングした高精細ムービーを再生するのに対し,チームラボの多くの作品は複雑な物理シミュレーションをリアルタイムで演算し続けることで生成されています。

チームラボに対する評価は,大衆的な熱狂と専門家による懐疑の間で揺れ動いてきましたが,近年では肯定的な評価も定着しつつあります。『Culture Machine』誌や批評家エリック・デイヴィスらは,彼らの作品を「テクノ・アニミズム」の文脈で論じています。高度なテクノロジーによって生成されたデジタル生命体に対し,鑑賞者が「生命」や「霊性」を感受し,ケアしようとする態度は,アニミズム的自然観の現代的アップデートであり,AIやアルゴリズムを冷徹な管理システムとしてではなく,共生可能な「生きたシステム」として提示する倫理的可能性を孕んでいます。

また,ニコラ・ブリオーが提唱した「関係性の美学」を,人間同士の交流から「人間と非人間(アルゴリズム,自然)」の関係性へと拡張した点も高く評価されています。見知らぬ他者と空間を共有し,共同で作品を変化させる体験は,分断された都市における「マイクロ・ユートピア」の創出とも言えるでしょう。

チームラボの卓越性は,単に「美しい映像」を作ることに留まりません。「世界をどのように認識するか」という認識論的な問いを,最先端のエンジニアリングを用いて物理的な体験へと実装している点にあります。猪子氏が語る哲学は一見難解な禅問答のように響きますが,それを支えているのはNVIDIAのGPUクラスターによる並列計算であり,流体力学の方程式であり,ミリ秒単位で同期する分散システムであります。この「極めて論理的な技術」と「極めて情緒的な日本的感性」とのハイブリッドこそが,世界中の観客を魅了し,批評家を困惑させる所以であります。

京都に誕生した『バイオヴォルテックス』は,物質文明の次に来るべき「現象の文明」を予見しようとする壮大な実験場であります。そこで日本初公開となった「環境現象」シリーズの中でも,私が特に心を奪われた《変容する連続体》について詳述いたします。

本作品は,従来の彫刻芸術が依拠してきた「固定的構造」や「永続的素材」という概念を完全に放棄し,「環境が生み出すエネルギーの秩序」そのものを彫刻の本体とする「高次彫刻(High Order Sculpture)」という新たなカテゴリーを提示しています。鑑賞者が空間に足を踏み入れると,そこには無数の球体群が空中に浮遊し,巨大な竜巻のような渦を巻き,あるいは拡散し,まるで一つの巨大な生命体の如く振る舞い続けます。

チームラボは本作を「物理的な物体ではなく,特別な環境を創出することで,その環境が生んだエネルギーの秩序によって存在を成立させるもの」と定義しています。これは熱力学におけるイリヤ・プリゴジンの「散逸構造(dissipative structure)」の概念を芸術へ応用した,極めて高度な実装例と評することができます。通常の大理石像のような彫刻はエネルギー供給がなくとも形を維持する「平衡構造」ですが,《変容する連続体》はエネルギーの絶え間ない流入と流出があって初めて成立する「非平衡構造」であります。風というエネルギーの流れが止まれば,本作は即座に崩壊し,単なる床に転がる球の集合体へと還元されてしまいます。

しかしこれは単なるキネティック・アートの延長ではなく,生命現象に近似したシステムであります。生命が細胞という構成要素の入れ替わりにもかかわらず個体としての同一性を保つように,本作も個々の球体が入れ替わり,あるいは鑑賞者によって物理的に破壊されても,全体としての構造(渦,秩序)を自律的に修復し続けます。

本作の実現において最も重要な技術的基盤を提供しているのが,空調設備業界の大手である高砂熱学工業による「環境サポート」であります。彼らは単なるスポンサーではなく,「環境クリエイター・パートナー」として不可欠な気流制御技術を供与しています。

本作品の空間は,極めて精緻に設計された巨大な「垂直循環型風洞実験室」と見做すことができます。無数の球体を特定の形状へと組織化するためには,空間全体の空気の流れを制御する必要があります。作品内で観測される「竜巻状の渦」は,流体力学的な「ランキン渦」のモデルに基づくと推察されます。中心部は流体が剛体の如く回転し,球体が密集して高速で上昇する「強制渦(Core)」,その外側は流速が中心からの距離に反比例して減少する「自由渦(Periphery)」という二重構造です。高砂熱学工業の技術は,床面・壁面の「旋回流生成ノズル」による角運動量の付与と,天井部の吸気口による上昇気流を組み合わせ,この複雑な気流を閉鎖空間内で安定的かつ持続的に生成しています。

ここでの技術的驚異は,乱流の制御にあります。完全な層流であれば球体の動きは規則的すぎて「生命的な揺らぎ」が失われ,過度な乱流であれば構造は崩壊します。エンジニアリングチームは空間内のレイノルズ数を厳密に算定し,カオス的でありながら秩序を保つ臨界点に気流の状態を維持していると考えられます。これは工場のクリーンルーム等で培われたCFD(数値流体力学)シミュレーション技術の芸術的転用に他なりません。

作品解説にある「人々によって壊されても自ら修復する」という記述は,システムが動的なフィードバックループを備えていることを示唆しています。鑑賞者が渦の中へ身体ごと入り込むと,気流が遮断され,渦の構造が乱れます。システムは気圧センサーや画像解析によってこの「乱れ」を検知し,瞬時に送風ファンや吸気ファンのモーター回転数を調整(VFD制御)し,あるいは可変ダンパー(VAV)を操作して風の吹き出し角度を微調整し,失われた運動量を補填します。このプロセスはミリ秒単位で行われていると考えられ,鑑賞者は「押しても動かせない」「壊しても蘇る」という超自然的な抵抗力を体験することになります。

「環境」が骨格であるならば,流動する「球体」は血液や細胞に相当します。これらは単なる風船ではなく,空力特性と光学的特性が最適化された特殊なデバイスであります。純粋なヘリウムでは浮力が強すぎ,空気のみでは重すぎるため,混合ガスや素材重量とのバランスにより,わずかに「負の浮力」を帯びるよう調整されている可能性が高いと考えられます。完全な球形であることで,どの方向からの風に対しても均一な抗力を受け,予測不可能な回転を抑えつつ気流に従う挙動を実現しています。

さらに,物理的な気流制御の上にはデジタルな制御レイヤーが重ねられています。通常チームラボの映像作品で用いられる「Boids」アルゴリズム(群知能)を,本作では物理的実体へ応用するという極めて高度な処理が行われています。アルゴリズムは球体を直接駆動するのではなく,「球体が辿るべき理想的軌道」を算出し,それに基づいて光の演出と気流の微調整を行っているのです。

そのために,壁面や天井にはLIDARやToFカメラといった高度なセンシング網が張り巡らされ,球体と鑑賞者の位置をリアルタイムで追跡しています。球体同士が重なって生じるオクルージョン(遮蔽)が発生した場合でも,カルマンフィルタや粒子フィルタといった推論アルゴリズムを用いて軌道を予測し,追跡を継続します。これにより,不規則に飛翔する球体へのピンポイントなプロジェクションマッピングが可能となり,独自の高速画像処理によって遅延なく球体が発光しているかの如く見せているのです。

サウンドデザインは,チームラボの長年の協働者である高橋英明氏が担当しています。アブダビでの先行展示では風の音がサウンドトラックを圧倒しているとの指摘もありましたが,今回の京都展示では空調ノイズの周波数帯域制御(アクティブ・ノイズ・キャンセリングや消音ダクトの採用)が施されているようで,風切音はさほど気になりませんでした。音楽は録音されたループ再生ではなく,球体の密度,速度,衝突イベントをトリガーとしてリアルタイムに生成されます。流体のエネルギー準位が高まれば音の密度やピッチが上昇し,安定時には静謐なドローン音が響くという「Sonification(可聴化)」の手法が採られており,視覚的な連続体と聴覚的な連続体が脳内で統合されるよう設計されています。

《変容する連続体》は,鑑賞者に「彫刻の中に入る」という体験を強いる作品です。従来の彫刻のように距離を置いて眺める対象ではなく,鑑賞者自身が異物としてシステムに混入します。圧倒的な数の球体が生む「壁」のような圧力,風圧,衝突を肌で感じながら,自らの存在が作品の挙動に影響を与えていることを自覚する体験は,メルロ=ポンティの身体論における「世界への肉薄」をデジタルと流体力学によって具現化したものと言えるでしょう。

京都は鴨川や高瀬川など「水の流れ」と共にある都市であり,歴史的にも移ろいゆく無常への美意識が深く根付いています。東九条という再開発エリアの地下空間に設置された本作は,都市の地下を流れる不可視のエネルギーを可視化した現代の「枯山水」とも解釈し得ます。石や砂の代わりに,データと風を用いて表現された宇宙が,そこには広がっていました。

 

三村(晃)