ふわぁ、と、在る
2025年11月29日
以前から私が夢中になっているキャラクター『パペットスンスン』。最近,人気が急激に高まり,メディアでの露出やグッズ展開など,その活躍を目にする機会が格段に増えてきました。古参のファンとして,この盛り上がりに深い喜びを覚えています。私が惹かれた当時はまだグッズも乏しく,スンスン関連のアイテムを欲しがっていた頃,友人が私のお気に入りのショート動画の一場面を油彩で描いて贈ってくれたり,スンスンをイメージした楽曲を作ってくれたりしたことも,今では良い思い出です。

『パペットスンスン』は2019年に活動を開始した日本発のキャラクターコンテンツです。パペットの国『トゥーホック』に暮らす6歳の青いパペット,主人公『スンスン』を中心に,親友の『ノンノン』や祖父の『ゾンゾン』らと紡ぐ穏やかな日常が描かれています。パンを愛し,「ふわぁ」という脱力した口癖を持つスンスンは,そのもふもふとした造形と繊細に構築された世界観で,子どもから大人に至るまで幅広い層の共感を呼んでいます。
スンスンの魅力が凝縮された,私が一番大好きな動画をご紹介します。まずはぜひ,こちらをご覧ください。
3人のスンスンが戸惑いながらも互いを認め合い,優しい結末を迎える作品です。この短い時間のなかに,スンスンの愛らしさと作品が持つ独特の空気が凝縮されています。
一見すると子供向けのほっこりした番組のようですが,この作品の真の魅力は,その可愛らしい日常の裏側に現代社会における実存的なテーマへの深い示唆が含まれている点にあります。スンスンは頻繁に,セーターから頭が抜けなくなったり,ポップコーンが上手く食べられなかったりといった日常の微細な「失敗」や「不条理」に直面します。世界が自分の期待通りに応えてくれない状況に対して,スンスンは怒りや過度な悲嘆で反応しません。独特の間と「ふわぁ」という嘆息で,その状況自体をただ受け入れています。これは,解決不能な状況を自身の「無能」や「罰」として処理せず,生活の一部として淡々と遂行する実存的な態度であり,成功や意味を求めすぎず,ただそこに在ることを肯定する逞しさを感じさせます。
スンスンと祖父のゾンゾン,友人のノンノンとの関係性には特筆すべき哲学があります。彼らの関係は近代的な契約や利害に基づかず,純粋な共感で結ばれています。例えば,スンスンが探し物が見つからないといった「失敗」をした際,祖父のゾンゾンが即座に解決策を提示して「正す」ことは稀です。彼はスンスンの隣に静かに座り,その「困っている状態」を共有します。これは「問題を解決する有用な他者」ではなく,「共に在る他者」としての態度と言えます。また,作中の社会は,6歳のスンスンに対して成熟や効率を要求しません。「何かができるから愛される」のではなく,「誰であるから愛される」という,愛の最も原初的な形態を,私たちは彼らのやり取りを通じて追体験することになるのです。
なぜスンスンはこれほどまでに私たちの心に響くのでしょうか。それは彼が「人間ではない(パペットである)」ことと深く関係しています。演者の表情が見えないパペットであるからこそ,社会的地位や外見への偏見といったノイズが削ぎ落とされ,私たちはスンスンの微細な動きや声のトーンから「悲しみ」や「喜び」といった情動そのものを純粋な現象として読み取ろうとします。現実離れした青いキャラクターが,どこか中年男性的な哀愁を帯びたリアリズムのある言動を行うことで,「当たり前の日常」がいかに奇跡的で,かつ滑稽なバランスの上に成り立っているかを客観的に気づかせてくれます。さらに作中では,スンスンが物事の名称や理屈を誤って解釈していても,周囲がそれを否定せずに会話が成立する場面が見受けられます。これは客観的な「正しさ」よりも,その場の「納得感」や「関係性の維持」を優先するコミュニケーションであり,正解への強迫観念に疲弊した現代人にとって,この「優しい誤謬」の許容は一種の精神的なシェルターとして機能しています。
『パペットスンスン』はのんびりとしたアニメーション作品ですが,失敗や欠落を「克服すべき課題」ではなく「実存の一部」として提示することで,現代の加速社会に対する静かなアンチテーゼとなっています。スンスンの無邪気さや日常の小さな瞬間の尊さ,そして言葉の余白にある感情が魅力です。この作品を見るたびに心が緩み,私たちは忙しい日常で見落としがちな共感や気遣いの価値に気づかされます。ぜひ皆さんも,スンスンたちの「特別でない時間」に触れて,心を解きほぐしてみてください。
三村(晃)

