La beauté, à qui appartient‑elle ?

2025年11月3日

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伊勢の辺縁,三重県津市白山町。近鉄大阪線・榊原温泉口駅の彼方に広がる深遠な山峡の寂寥のなかに,忽然として晶白の巨像群が峻厳な相貌を呈します。

鄙びた小駅を背に,その威容は旅人の胸奥に静かな問いを投げかけます。すなわち,「斯く辺陬の地に,何故この世の至宝が聳え立つのか」と。

今回の探究の目的地は,パリ・ルーヴル美術館の正式な姉妹館である「ルーブル彫刻美術館」です。都会から遠く隔絶されたこの場に,本館は複写を通じて名作の精髄を地方に伝播させるという理念を具現しています。それは,以前ご紹介した大塚国際美術館が絵画の精密な複製によって芸術の普遍性を地方へ定着させたことと呼応します。
本館は昭和62年(1987年),実業家・竹川勇次郎氏の尽力により開館しました。特筆すべきは,ルーヴル美術館の公式姉妹館としての嚆矢である点です。ルーヴルの精鋭たる技術陣が,門外不出とされてきた彫刻の実体から厳密な型を採り,些細な相違も許さぬ忠実な復刻を施しました。収蔵された約1300点の作品群は粗悪な模造ではなく,「本質の精髄を宿す分身」と称されるべき,緻密を極めた再現品です。この精巧な復刻の存在こそが,本館の根源的な問いを一層深淵へと誘う源泉となっています。
館内に一歩を踏み入れれば,《サモトラケのニケ》,《ミロのヴィーナス》,そして《ハンムラビ法典碑》に至るまで,人類の歴史を象徴する至宝が一堂に会します。

来館者は当初,「真作ではない」という冷厳な事実に困惑を覚えるかもしれません。しかしその先入観はやがて変容します。

忠実を究めた復元品であるがゆえに,来館者は逡巡なく作品に接近し,あたかも触れ得るほどの間隔で表面の機微や,大理石の肌理を凝視することができます。入射する光の角度を選び,自らの審美眼を以て名作と対峙する。その束縛なき観覧の過程で痛切に感得されるのは,「忠実な複写であるからこそ,本質たる普遍性が伝播する」という逆説的な真理です。
芸術作品は仮に唯一無二の原型であれども,結局,人類が等しく分有すべき掛け替えのない文化遺産です。然るに,その大半は特定の都会や大国,あるいは特定の美術館の硝子棚のなかに厳重に守られているのが現実です。
地理的な制約を抱く伊勢の山峡に世界の至宝が陳列されているという事実は,単なる観光の奇観を超越し,「芸術の民主化」を具現する灯台のような光を放しています。遠くパリへ赴くことが叶わぬ人々も,この聖地において万世の名作に直接接する機縁を得ます。ここに示される洞察は,芸術が王侯や都会の専有物ではなく,万人が斉しく享受し得る普遍の哲理であるということです。その思索は,地方に静かに,然して確信をもって深奥へ根を張っています。
館を辞するとき,「複製」という語が帯びていた否定的な響きは,完膚なきまでに「分有」と「普遍性」という燦然たる象徴へと変貌していることに気づかされます。晶白で清澄な彫像群は,悠久の刻と国境を越え,「美は誰の所有物か」と問いかけるかのように,地方の情景へ永続的な普遍の光芒を投射し続けています。

三村(晃)