断章としての建築、連綴する手帳
2025年9月22日
紀尾井清堂で開かれている「建築家·内藤廣 なんでも手帳と思考のスケッチ in 紀尾井清堂」を訪れました。普段は人々から閉ざされている清堂の内部に足を踏み入れることができる,稀少なひとときでした。そこには,内藤廣氏がA5判の能率手帳に40年以上にわたり貼り継いできた思索の断片が,オリジナルと複製とともに年代順に並び,静かに時の流れを語りかけていました。
本展の会場である紀尾井清堂は内藤氏の代表作であり,理事長·丸山敏秋の「思ったように造ってください,機能はあとから考えます」という託しを受けて生まれました。内藤氏は縄文的な粗獷さと弥生的な精緻さを対置する「現代のパンテオン」を志向し,一辺15mのコンクリートキューブを四本の柱で空中に据え,頂部のトップライトから光を降ろす空間を実現しています。周辺の高低差を活かして西と北に異なるレベルの入口を設け,キューブを地上3.6mまで持ち上げてピロティとし,内部は2階から5階までを貫く四層の一体吹抜けとしています。
構造の要となる四本の多角柱は柱脚をXY軸に沿う1.4m角の正方形とし,柱頭はキューブの隅へ迎えに行く形で荷重を合理的に受け流す設計です。2階の梁と柱には最大で梁380トン,柱150トンのポストテンションを掛け,複雑な型枠と配筋を貫通するシース管の取り回しを三次元で検証しながら施工しています。吹抜けに架かる階段とコンクリートとガラススクリーンの間に配された半屋外階段(3〜4階)が回遊を促し,来訪者の動線が建物の外貌へと映し出されます。
外装のガラススクリーンはDPG(Dot Pointed Glazing)工法を採用し,15mm厚の強化合わせガラス二枚を組んだ30mm厚の約2.6m角パネルを横7列×縦6段で連ねています。各列は総重量約3トンのパネル群を上部鉄骨から吊り,面外力には直径60mmの鋼製支柱で抗してベースプレートで躯体に固定しています。ガラス相互には50mmの隙間を設けて小口を現し,雨を凌ぎ風を通す納まりとすることで,重厚なコンクリートの立方と精緻なガラスの皮膜との対比を鮮やかに立ち現れさせています。
トップライトは杉板型枠打放しコンクリートで,底面は2.5m角の正方形,頂部は円弧を組み合わせた緩やかな曲線で構成されています。三次曲面を杉板で仕上げるために,一般部には9mmの杉板をわずかに台形に加工して並べ,コーナー部は板を3mm厚にスライスして曲面に馴染ませるなど,高度な型枠技術と精度が注がれています。
内装では島根県の谷窯業で焼成窯の棚板として使われた石州瓦を約一年半かけて蓄え,約7000枚を再利用しています。1350℃の高温による歪みや釉薬の付着が一枚ごとに異なる表情を生み,現地で仮置きを繰り返して均質に仕上げました。壁面には特殊溶液で酸化させた2m角の鉄板オブジェが掛けられ,時間の経過とともに表情を変え続けます。
展示構成は年代順に下階から配され,3階に1973〜1995年,4階に1996〜2009年,5階に2010〜2024年の手帳が並びます。各年のオリジナルがフロアを巡り,象徴的なページが開かれて当時の社会事象が添えられ,内藤氏自身の飾らぬ言葉で解説されます。隣には抜粋レプリカが設えられ,来場者はそれを手に取って頁をめくることができます。対向壁には関連図面や資料が配され,試行錯誤の痕跡から完成に至るプロセスを隅々までたどることが可能です。
手帳にはファミリーレストランの紙ナプキンに青のサインペンで描かれたスケッチや写真,新聞の切り抜きが貼られており,人に見せることを前提としないからこそ切実な悩みや葛藤,芽生えたアイデアが率直に立ち上がります。1991年には「海の博物館」最終仕上げのローコスト設計に行き詰まり,目的を定めずパリへ赴いて十日に近く歩き回り,教会や宿のダイニングを手帳に収めた記録があります。1997年には「茨城県天心記念五浦美術館」コンペに勝ったものの,竣工までが住宅並みの一年半という過密日程に翻弄され,正月二日に誰もいない現場で涙した写真を戒めとして貼り付けています。2010年には代官山Tサイトのコンペで敗れた際,代表の増田宗昭から「これはこちらの負けです」と告げられ,「負けてこんなことを言われたのは初めてで,うれしかった」と記しています。
オリジナルとレプリカを行き来しながら,手帳という予定表の枠を超えた「思考の器」を実感し,縄文的な躯体と弥生的な皮膜がせめぎ合う空間で「存在の器=建築」と重なり合う体験を得られます。本展は華やかな業績の陰にある挑戦と挫折を含む私的な軌跡を,光と素材の陰影のなかで静かにたどらせる鑑賞の旅へと誘います。
普段は立ち入ることのできない清堂に身を置き,トップライトから注ぐ光や多角柱の力感,ガラススクリーンの精緻さ,そして再利用された瓦の唯一無二の表情に包まれながら,建築が語りかける力と「書き留める」という行為の切実さを,心の奥で確かに受け止めることができました。
三村(晃)