椅子という名のキャンバス

2024年5月17日

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先日,埼玉県立近代美術館にて開催された❝アブソリュート・チェアーズ❞という展覧会へ行ってきました。展示された作品は,椅子という日常的な存在を通じて,人間の身体性,社会的構造,さらには権力や死といった重厚なテーマに迫るものでした。
この展覧会は,戦後から現代に至るまでの美術作品における椅子の表現を探求し,椅子が持つ多様な意味や象徴性を,国内外の平面·立体·映像作品約70点を通して解き明かしていました。椅子は,玉座のように権威の象徴となることもあれば,車椅子のように身体の補助となることもあり,電気椅子のように死や暴力とも無縁ではない,という複雑な存在です。
今回の展覧会の見どころの一つは,カナダの芸術家ミシェル·ドゥ·ブロワンによる滞在制作の新作《樹状細胞》です。

約40脚の会議椅子を駆使して創り出されたこの彫刻は,2005年に制作された《ブラック·ホール·カンファレンス》を原点とし,会議椅子を球体状に組み上げることで,複雑な象徴性を築き上げています。球体の形状は,非階層的かつ平等主義的なユートピアの理念を体現しつつも,外向きに脚を突き出し,防衛的な構えを取っています。“樹状細胞”とは,枝分かれした突起を持つ免疫細胞の一種で,この細胞の形状を模した椅子の集合体は,外部の侵入者を断固として拒絶しているかのように見えます。椅子は互いに結びつき,有機的な共同体を形成していますが,他者を排除し,座ることを許さないその姿は,果たしてユートピアと呼べるのでしょうか。それは人間社会のメタファーとしても解釈可能であり,観る者に深遠な印象を残します。

また,アンディ·ウォーホルやフランシス·ベーコン,草間彌生,岡本太郎といった,椅子をテーマにした著名な芸術家たちの作品が展示されており,椅子を象徴として用いることで彼らの創造力と深遠な思索を垣間見ることができました。さらに,私が愛する名和晃平や,昨年のshiseido art eggで出会ったYU SORAなど,普段は椅子を題材にしないアーティストたちの珍しい作品も鑑賞でき,その新鮮さに魅了されました。キャプションを確認する前に,あの作家の作品ではないかと推測することで,クイズを解くかのような楽しみも味わえました。
そのような中で,私が特に魅了されたのは,宮永愛子の《waiting for awakening -chair-》という,ナフタリンで形作られた白い椅子が,透明な樹脂に封じ込められている作品です。

樹脂に開けられた微細な孔に貼られたシールを剥がすと,ナフタリンは昇華を始め,“目覚めを待つ”椅子は,眠りから覚醒し,変貌を遂げます。ナフタリンが完全に昇華した後,樹脂の中には椅子の形をした空洞が残されます。この椅子の原型は,大原美術館創設者 大原孫三郎の別邸,有隣荘で使用されていたものです。作家は,有隣荘での個展に際し,その建物やそこで過ごした人々の歴史と記憶に刻まれた椅子をモチーフに選びました。作品を側面から観察すると,制作過程で日々の空気と共に少しずつ注がれた樹脂に含まれる気泡が層を成していることが見て取れます。原型となった椅子が辿ってきた時間,作者が制作に費やした時間,そして眠りについた白い椅子の時間が,異なる時間の流れと重なり合い,静謐に人間の営みを語りかけています。この作品は,静寂と動きの狭間にある緊張感を観る者に感じさせ,時間が物質に与える影響を考えさせられます。

この展覧会は,単なる日用品としての椅子ではなく,それが持つ社会的,文化的な意味を探る場となり,鑑賞者である私たちに新たな視点を提供しました。椅子という身近な存在が,アートを通じてどのように多様な解釈を可能にするのか,その奥深さに改めて気づかされる展覧会でした。

 

 

三村(晃)